50代女子的おひとりさまの傍楽セカンドライフ
大切なこと

「誰かの役に立てることを書きたい」は呪縛

お世話になった上司からもらったアドバイスで
いまでも大事にしてる言葉があります。

 

「正しいことを言う人よりも
わかろうとする人であれ」

どんな言葉をもらったか
よりも
【誰が】言ってくれたか。
が心に残り続けるモノですね。

 

時間は流れて仕事にも慣れ
次なる挑戦は、
こうした発信をしていきたい。と
ブログやWeb媒体で表現を始めました。

自分と同じように
迷ったり悩んだり、立ち止まれなかったり
強制的に動けなくなったり
不満はないけど、満たされない
本当の自分を生きているって
言い切れない
ホントの自分はこんなもんじゃない。

もう諦めるのは嫌だ。
もう言い訳しながら現状に甘んじているのは嫌だ。
自分がどこまでできるか、こんなもんだったのかを
試してみたいんだ。

黙っていて、待っているだけでは
想いが伝わることはないから、
こんなわたしがここにいます。と
世に問い続けることで
共感する仲間と出会えるんじゃないか。
自分もそう思う。
一緒に望む未来へ進んでいこうと
共鳴する仲間と繋がれるんじゃないか。

そんな期待感でスタートしたのですが、
新しいことを学び実践していくことは
想像以上に、自分自身の壁にぶち当たりました。

 

・いいこと言おうと思ってた。
・いいね。すごいね。と評価されたい

自分が思うこと、自分の中から湧き出す想いを
伝えたい。だったはずなのに
いつの間にか他人からの承認を得たい
ちゃんとしたことを発信したい。
純粋な想いを、
どんどん自分で濁らせてしまってた。

 

 

誰の役にも立たないかもしれないこと
きっと、どうだっていいこと、
ただわたしが好きだって思うこと
こんなこと考えてたんだなって
自分の備忘録なこと、
こうしたブログや発信媒体で
「書く」にあたって、
「誰か」っていう他人軸に合わせてしまうと
善悪や正誤、損得の価値観に飲み込まれてしまう。

 

自分がどう思ってるのか。
自分がどうなのか。でしか
アウトプットのエネルギーが湧かないタイプのわたしが
発信していこう。
と取り組み始めたとき出くわした壁は

・何を書いたらいいかわからない。
・書くネタがない
・読んでもらった人に役に立つことなんて書けない
・自慢?リア充?みたいな発信は恥ずかしい
・そうゆうことで書けない
・書けないから発信しようと決めたのに、できない
・自分で決めたこともできない自分責めモード

ぜんぶ自分で何とかしよう!
自分の頭の中でどうにかしよう
とぐるぐる回っていたな。と思います。

 

【正しいこと】を言うことは
正論なんだから、相手に届くはず。
相手に受け取ってもらえるはず。

これも、自分で何とかしよう。
自己満足で独りよがり
な発想だったなと
今になって、腑に落ちます。

「わかってあげられる人」
「わかろうとする人」
でありたい。
自分にも。相手の方にも。

誰かのために「何かいいこと」書かなきゃ
書くべきだ。
読んで頂く方にメリットがないのに
発信する理由があるのか。
ここにハマってしまうと
正しい想いでなければ何も書けない。
わたしの書く話には、何の価値も無いし
いったい誰が喜んで読んでくれるんだろうか。
これは、誰かの目を気にしたり
顔色を伺う発想だったんですよ。

 

こんなことすら、
こんな些細な気持ちを
書けるようになれた自分のこと、
ちょっとずつだけど
できるようになってきたんだなって
書くことを諦めなかったことで
過去の自分を超えて成長してこれたかな
って思えたんですよ。

 

いまのまま、遠い理想の姿ではなく
ありのままって言われる、いまの自分で
外の世界へ出ていっていい。
気持ちや、捉え方や、物の見方は
年齢や、経験、過去の自分とは無関係に
ありたいようにいつでも変わっていけるから。