ゼロに還る旅の途中で
わたしのこと

2017年が人生の大きな方向転換期だった件、振り返って思い出して上書き中

【いま】感じてることが【未来】を創り出してるから
過去を振り返ることとは
思い込みや信じ込みのラベルを探るヒントでしかない
んだけども、

 

2017年だけは
わたしにとって、やっぱり特別だったから
書きおいてあげたいと思いました。

 

2017年は正月明けから事件勃発。
仕事のミス。
電話で確認したのに、受話器置いて発した言葉は
いま確認したことと真逆を伝えてしまって
大トラブルです。
再発防止策を聞かれた時にやっと自覚しました。
わたし普通じゃない。
年末頃からずっと眠れなかったり心配事があったり
疲れが溜まっていたのは確か。

病院に行ったら【適応障害・うつ】と診断されて
その日から1年間の休職が始まりました。

人事部から届いた書類には、休職期間は1年間って書かれてあって
正社員人生は、期限を切られたんだな。
どうなっちゃうんだろ。と不安抱えながら
とにかく睡眠三昧でした。

おじいちゃん主治医センセは優しくて
休職期間は何をやってもいいよ。と言ってくれました。
好きなことは何?趣味は?
と聞かれたとき、
え。。。?趣味?好きなこと?
そんなもの無い。
とにかく寝たい。

1月はとにかく寝た。
3日間くらい同じ格好だったかも。
処方された薬が大量にあったけど、
職業柄、薬剤名から重症度がピンとくる。
これはわたしの判断ですが、
一度も処方箋持って薬局へ行かなかった。
つまり薬を服用しなかった。

2月と3月は
寝てるかワイドショー見てるかどっちかで。

最近コロナ後遺症で初めて聞いた「ブレインフォグ」
いま思えばあの頃、そんな症状だったかも。
頭の中は、深い霧がたちこめていて
思考不良でハッキリしない。
例えば、家→銀行→本屋→コンビニで買い物したい。
と決めたとして、
覚えていられなくて、最適ルートも判断できなくて
結果どうしてたか。
家→銀行→家→本屋→家→コンビニ
と一旦うちに帰ってリセットしないと
わかんなくなってたんですよ。
認知能力すら低下してたんで、
日常生活がやっとだったので
やっぱり仕事どころじゃなかったですね。

あの時のミスをきっかけに
病院行ったのは正解だった。

ただ、ひとつだけ
仕事しながらも楽しく通っていたのが
中平真紀子先生の週1回のピラティスレッスン
めぐりピラティス

真紀子先生がたった一度だけ開催してくれた
マインド講座に参加したことが
わたしのハートを癒し、
女性性を思い出すきっかけになり
意識の変化から、出会う人が変わり
今までとは違う情報を受け取れるようになりました。

マインドもカラダも
軸をととのえていくことで
自分のチカラで
自分の足で立つ
真っ直ぐ立つことを
思い出すことができました。

 

もう一度、
この世を生きてみよう。
と思いました。
その決意は
決して希望ではなく
絶望だったことを覚えてます。

あきらめです。

こんなに疲れ果てた人生を
もう一回やるの?
この人生ゲームにまた参加するの?
なんの資産もない
チカラもない、
失ってしまったわたしが
また始めるのか。。。

 

このタイミングで起きたことは
【自分で選択する】経験でした。

①薬に頼る
②宗教入信
③マインド講座

どれにしようか不安に流されそうになったとき
唯一の自分軸
③マインド講座を【自分の意思で選択】した
事実と認識は潜在意識への意思表示となりました。

 

この世界をもう一度生きる。
そしてわたしは
自分の意思で選択する。

 

2017年が
人生に大きな転換をもたらしたのは
この決意です。

 

この期間の出会いは、
支えてくれたり
見守ってくれたり
チャンスをくれたり
それまでの人生では
接点のなかった出会いもあり、
多すぎる偶然と
ご縁に感謝しています。